2012年1月11日水曜日

制作日誌その1/『ジャリー』を観た。

ヶ月に及ぶ撮影の間、持ち込んだプロジェクターを合宿所のリビングの壁に投影し、みんなで映画を観る時間がありました。撮影の参考にというわけではなく、ただ単に好きな映画を息抜きとして観ていました。でもひとつだけ制作の為に持ち込んだ映画があります。トリュフォーの『アメリカの夜』。映画撮影の裏側を、愛情いっぱいに描いたこの映画をスタッフ全員で観て、「こんなにも映画制作って面白いんだ。だから明日からの過酷な一ヶ月をみんなで楽しく乗り切ろう!」という士気高揚の為に用意したのですが、あまりにも撮影準備が忙しく、映画を観ている暇などありませんでした。結局この映画を観ることはなく、撮影は終了してしまった。

役者さんとシガーロスのドキュメンタリー『ヘイマ』を観て、アイスランドの自然の雄大さに恐れを抱き、「うんうん、彼らの音楽はこの土地から生まれた音楽だね」と納得したり。スタッフとはガス・ヴァン・サントの『ジェリー』を観ました。誰もが面白いというような映画ではないので、どんな反応をするんだろうと少し心配だったけど、意外にもみんな楽しんでくれていた。「暇で暇でしょうがないときに、無性にまた観たくなる。」と、そんなことを言っていた鳥取大学映画研究会のメンバーが『ジャリー』という映画を作りました。

ひと言で言ってしまうと『ジェリー』のパクリです。というかそのまんまコピー商品。
でもこの映画を観て、僕はすごく感動してしまいました。
高校の頃、音楽がしたくてパールジャムのコピーバンドを友達と組みました。同じく高校の頃、バスキアの映画を観てたくさん真似て絵を描きました。そういったことを思い出し、そのときの気持ちを思い出しました。こういうことは思い出すだけで恥ずかしくなることなので、なるべく忘れようとしてしまいます。でも、と『ジャリー』を観て感じました。
画家はたくさん模写を描くし、音楽家も昔の作曲家の楽譜を一生懸命練習する。だとしたら、いいなと思った映画と同じ映画を作ってみよう、という気持ちはごく普通のことなのかもしれません。作ることで学べることは、観るだけよりたくさんあります。何よりその「じゃあ、やってみよう。」という素直な気持ちは忘れようとしてはいけない、と気づかされ、心を打たれました。

この温情のような感情は、多分に、彼らが僕の友達で、個人的に知っているから湧いた感情だとも思います。いや、ほんといいやつらなのです。
ただいくらコピーといっても、完全にコピーできるはずはなく、その本物とのずれこそが大事な部分だと思います。
『ジャリー』にも『ジェリー』にはない部分がいろいろあって、例えば砂丘のふちを男が歩いた後ろから、砂が雪崩のように崩れていって、その頭上を鳥が飛んでゆくところ。吹雪の中でひとりの男が「車があって、スープもあって、帰る道も僕は知ってる。そういうことを君に言える僕でいたかった。」と告げたあと、もう片方の男がただ「いくよ。」とそっけなく言うところ。これはこの映画にしかないシーンだし、胸を打つ素晴らしいシーンだと思います。こういうことを繰り返し、ずれの部分を知っていくことは、自分の資質を知っていくことにつながっているように思います。

ある作品から受けた感動を、作品を作ることで次へと渡していく。その反射がどんどん広がっていくこと。僕が一番感動したのはその部分かもしれません。どうか鳥大映研のこれからを温かく見守っていてください。鳥大映研のみんなはもっともっと精進してください。そして僕もこの感動を、自分の作品を作ることで次へと反射させていきたいです。もちろんただいま編集中ですので、ご心配なく。

蛇足ですが、タイトルの『ジャリー』は砂がたくさん口に入ったからなのかな。

文/波田野州平




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